東谷釣行…2

 

渓流釣りの魅力?

 

以前からイワナ・ヤマメの渓流釣りをやっている。釣りは子供の頃から
好きだった。

 

いろいろある釣りの中で源流の渓流釣りに執着したのは、もともと山が
好きで、山の佇まいのパーツでもある山水草木、土くれの自然の匂い、
野鳥、花、小動物などがかもし出す雰囲気に魅了されていて、「山」と
「釣り」が融合したからかも知れない。

 

今まで各地の小渓流をずいぶん遡行した。好奇心が強いからか、意識
的に同じ渓流を避けて違う渓流を目指した。決まった場所で、その渓流に
行けば多分釣れる事はそれとなく判っていても、1、2回行くと興味は
なぜか薄れてしまった。

 

その都度、違う渓流でドキドキして僅かな興奮を覚えながら釣るのが楽
しく、初めて出会う渓流の状況の物珍しさと、釣れるかどうかも判らない
釣果の期待で、胸がふくらんでいた。

 

青森、岩手、秋田、宮城、山形、福島、新潟、群馬、栃木、茨城、埼玉、
東京、山梨、神奈川、長野、静岡、富山、石川、福井、岐阜、徳島の
各地を

 

年に僅か数回であるが、その物好きの食指が動いて釣リ歩いた。もちろん、
他の用事で行ったついでに竿を出した所も含まれている。

 

なるべく他の釣り人が行かない所、釣りの本や雑誌で紹介されていない
ような無名の小さな沢を故意に選んで入渓した。

 

釣果そのものよりも、結果までのアプローチの長さと期待感に魅力を感じ
ていて、釣れれば楽しいに違いないが、簡潔に言えば 「山紫水明にどっ
ぷり漬かる事」と言った方が合っているようだ。

 

 

 

垣間見る山「小黒部」

 

 

 

 釣れるに越した事はない。普通、釣り人は大物・数釣りを第一目標に
釣行する。この辺が自分は少し違っていた。

 

行く回数も僅かだから当然、釣りは下手だし良い釣果はほとんど味わ
っていない。かといって、執拗に釣りの技術を体得して 「特別に上手に
なって沢山の釣果を得たい」 という気持ちに何故かならないのである。

 

遡行しただけで、ほぼ満足してしまう。言うなれば釣りながら気が浮い
て他の事も考えたりしている。山の景色・樹の種類・野鳥・野草・岩や石
・苔・キノコや山菜・その他 諸々に気を取られながら釣ったりしている。

 

もっと釣りに集中すれば良いようだが、近年、ほかの趣味に注目する割合
が増してきている。

 

その日のテーマソングみたいになった同じ歌を唄いながら、人が居ないこ
とを素早く見定めるやいなや、ボリュームを上げて、、、。

 

あまり真剣味の無い、いい加減な釣り人らしい。

 

少し違うが山歩きでも、有名な百名山を故意に避けて名もないような山が
なんとなく好きで今でも時々登っている。

 

釣りの本も山の本も稀に購入する時もあるが、それは、その本に書いて
あるアドバイスを得る為もあるが、そこに書いてある場所を避けるための
参考書にもなっている時もあって、変な利用者のようだ。

 

たまには、本のアドバイスの通りに釣りに行ってみた事もある。だが、
「なるほど、なるほど、、、。」とは感じても、自明の理というか
「それで当然」 という事で特別に感動しないのだ。

 

温泉が好きで、以前ある有名な温泉に行った。例の提灯がぶらさがって
いる秘湯を売りにしている温泉である。だいたい見当はついていたのだが、
一度は体験してみようと思って何ヶ所か訪れて入湯した。

 

確かに天然温泉らしいが、秘湯とは名ばかりで、実情は客が集中して
浴槽に客が多勢入っていて、まるで四角い木製の炊事用トレイに、大
げさに言えばジャガイモやカボチャが浮かんでいるような光景だった。

 

宿の外観は、それらしい風情を装ってはいたが、「秘湯とは何だろう?」
と改めて考え直す事になってしまった。

 

温泉、それも鄙びた(ひなびた) 静かな雰囲気の本当の「秘湯」が狙い
なのだが、今では残念ながら無理な望みらしい。

 

例えは悪いが、「良くて当たり前、釣れて当たり前、行列しなければ
ならない」という条件付お見通しの場所には総じて行きたくない! と
いう事になってしまったようだ。

 

そんな訳か、いつしか成り行き上、自分だけの秘密の釣り場を探索する
ようになった。

 

その方がよしんば釣れなくても魅力が有って楽しいのである。

 

狭い了見と言うか的外れで、わずかに臍がズレているのかもしれない。

 

 


 

 

 




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