東谷釣行…12
「東谷単独釣行…3年目」
最初にKちゃんと二人で「東谷」を目指し、結局は上手く行か
なかった釣行を含めると、東谷釣行は4回目である。
また今年も、「扇沢の黒四ダムトロリーバス駅」に到着した。
天気は良し体調も良い。不思議なもので、なんとなく上手く
行きそうな気がしていた。
忘れもしない、あの「東谷2連8mの滝」が脳裏に浮かんでは
消え浮かんでは消える。
水平道が開通していると見込んで、ダム下の橋を黒部川左岸に
渡り、歩き出した。荷は相変わらず重いが減らすものがない
から仕方ない。
扇沢駅に通行警告看板が無いから「多分開通しているに違い
ない。」という憶測だった。「水平道は整備完了で通行可能」
とでも書いた看板でも有れば安心できるのだが、そういう訳
には行かないらしい。大体が、毎年この場所に性懲りもなく
通う人間など極少で対象外ということか、、、。
行きあたりバッタリの出たとこ勝負、「水平道が通行出来る
から看板が無いのだろう」と結論付けて期待に胸ふくらませた。
見慣れた大きく崩れたガレ場を通り過ぎ、勇躍しながら目的の
「東谷」を目指した。
汗は吹き出し、肩に荷が食い込んで痛い。小沢で何回も水を
補給した。前の失敗から塩は持参している。水を飲むたびに
塩を舐めた。顔に塩の結晶が残った。顔を手で擦るとサラサラ
していて舐めると塩辛い。
例によって、背負っているザックの中身は減らしようがない。
重いので弱るが、この中には、ハーケンほか登攀用具一式、
10㍉40mザイル、テント、シュラフ、食料、カメラ、釣具
一式、自炊用具一式、アタックザック、衣類、など入っている
が必需品だから致し方ない。
当時のカメラは、デジカメではなくフィルムカメラのCONTAX
Sb2だった。レンズはカールツァイスで高価な物、前々から
欲しくて、やっと手に入れたカメラだった。このカメラが割合と
重さに加わっていた。
まさかデジカメに大変革するなど思いもよらず残念だが、
「時代の流れだから仕方ない」と諦めることになってしまった。
思い入れかもしれないが、あの陰影のある描写力は今でも、
追従を許していないように思える。
繰り返すが、目的の「東谷のイワナ確認」のために、2連8mの
滝を越えて沢の上流部に入渓するためには、最低これだけの用具
は必要と考えた必需品なのである。
滝の向こう側がどんな渓相になっているか行ってみなければ判ら
ない。必要と思しき道具は出来る限り持ちたいのだ。
「その道具が無ければまた次の機会に持って来れば良い」と安易
には決められない。重くても年一回のチャンスを逃がすわけには
行かない最低限の用具であった。
カメラの話のついでだが、最近「コントラスト」という言葉を
よく耳にする。何となく表現しているようだが、本来の意味を知ら
ないようだ。
例えば、「グリーンの山を背景にして桜のピンクのコントラストが
素晴らしい。」とか、「色とりどりの草花のコントラストが綺麗!」
などと言っている。
どこが違うか、コントラストは色相・彩度の事ではなく明かる部分
と暗い部分の対比を表しているのだ。明暗の差の割合で、コント
ラストの良い写真は、その差が丁度良い写真である。
専門家ではないが、先に書いたCONTAXツアイスのレンズは、
実際に使ってみて、この微妙なコントラストの良い写真が撮れた
ような気がする。
カメラの話はさておき、小さな尾根の上り下りを繰り返して「今年
こそ何とか東谷まで行くぞ!」と念じながら懸命に歩いた。行き
交う人は一人もいない。息を切らしながら独り黙々と歩いた。
ガレ場からどの位歩いたろうか、何キロという距離ではない。
距離的には僅かな道のりだったが、急に左足に異変を感じた。重く
引きつったような鈍痛が歩くに連れだんだん強さを増してきた。
構わず我慢しながら歩いていたが、先の距離を考えて休む事にした。
少し休めば歩けるだろうと高をくくっていたが、15分ぐらい
休んで歩き出すと、また痛くなってくる。
「さあ困った、この具合では無理かな?」また、弱気が噴出した。
まだ午前中で陽は高く時間はある。この辺の黒部川本流を少し
釣ってキャンプして、朝になって足の調子が良くなれば翌日に続行
する手もあると考えた。
そこで、右岸の川原の広くなった場所にテントを張ることにした。
雨が降って増水しても流されないように、やや高台の平らな場所を
探した。
水平道から少し下がったところ、大きな岩が点在する隙間に丁度
手ごろな平らな場所を見つけた。「よし、ここにテントを張ろう!」
暗くなるまで時間はたっぷり有る。ここで少し釣ってみることにした。
ザックを降ろして釣る準備を始めた。
黒部川本流ダムした左岸、先ず、第一投である。
丹念に自分で作った焦げ茶色の毛ばりを付けて上流の大岩の水際に
竿先を捻って放り込んだ。
今までの経験から、一投目に大きいのがくる確率は高い。小物を
掻き分けて親分が飛びついてくるようだ。緊張の一瞬である。
案の定、毛ばりを流す間もなく九寸ぐらいのイワナが躍り出てきた。
毛ばりをくわえて上流に跳躍する。竿先を僅かに上げて合わせる。
結構強い引きであった。さすが黒部の激流に生息するイワナだけある。
魚体の幅も広い。竿を張って水面に浮かせて引き寄せた。
毛ばり釣りは普通、エサ釣りと違って掛かった瞬間強引に引っ張り
上げる。相当な大物ならともかく、水面からイワナを引っ掛ける
ように空中遊泳?で取り込む。
やったことはないが、海釣りのカツオの一本釣りのような感じだ。
その辺がエサ釣りと違う。エサ釣りは水面下の引きを楽しめる。
イワナにとっても、空中でカラ動きするより水中での抵抗だから
自然で様になっていて本望だと思う。
昔の職漁師の釣りの仕掛けが、必然に思えた。毛ばり釣りは、実に
効率的である。放り込み、掛ける、取り込む、放り込み、掛ける、
取り込む、の繰り返しで済むようだ。
仕事だから、魚の引きを楽しむとか遊びの呑気な事は言っていられ
ない。如何に能率的に沢山釣り上げるか、ノルマが掛かっている。
そのあと、同じぐらいの大きさのイワナを二尾釣って釣りは止めた。
ひと先ず釣りは保留。テントを張り、食事の用意もあるからという
ことだったのである。
火を起こしイワナを焼いた。イワナの腹を裂き血腸(ちわた)を
丁寧に取って、近くの枯れ枝を竹串代わりにして焚火で焼いた。
疲れすぎてあまり食欲はなかったが、飯を炊いて持参のレトルトの
カレーで簡単に済ませた。時間は確か3時頃だった。水平道の路肩
に一輪、薄紫色のマツムシソウが僅かな風に揺れて咲いていた。
河原での野営である。時間はたっぷり有り、疲れているから熟睡
できた。翌朝4時「出発!」なんとか歩けそうだった。
ところが、暫く歩いたとき、また、左足が痛み出した。どうやら、
小学生の頃に自転車から落ちて左足のお皿に小石が食い込み、
腫れて一晩中痛かったことを思い出した。その時痛めたのが原因か
どうか判らないが、膝の内側の骨が少し変形している。
何かのはずみで、その部分に衝撃が有ると今でも飛び上がるほど痛い。
左足の痛みは丁度そのあたりだった。
まだ東谷出合までは半分も来ていない。これから十字峡を過ぎて
2時間も歩かなければならない。痛みは一向に治まらなかった。
残念!「今回も駄目だ!」引き返す破目になってしまった。
Kちゃんと二人で一回、あとは単独で2回、今年で4回目だが、
残念ながらまたまた、来年に持ち越しである。
気持ちを切り替え、来年に望みを託して帰路に就いた。
ここまで続けたらもう後には引けない!
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